マーク・ザッカーバーグ~Facebookの父~
世界最大規模のオンラインSNS、Facebookの生みの親であるマークザッカーバーグの名前は誰しも一度は聞いたことがあるはずです。2019年初頭まで、334億ドルという総資産を抱え、世界億万長者番付で16位にランクインしていたマーク。今回は2NFと共に彼の人生に迫ります。
<目次>
概要
マーク・ザッカーバーグ(本名マーク・エリオット・ザッカーバーグ)はユダヤ系アメリカ人で、パソコンプログラマーであり、インターネットテクノロジーの起業家です。また、アメリカから行うオンラインボランティア活動家としての一面もあります。
Facebookの創始者であり、若干23歳にして15億米ドルという総資産を握り、史上最も若い億万長者となりました。現在もFacebook社を会長兼社長として運営し、2018年3月5日時点の累計資産は720億5000万ドルともされています。
マーク・ザッカーバーグは2002年にハーバード大学でコンピューター科学と心理学を学びました。彼とルームメイトの4人は授業中にFacebookを公開。その後大学を中退し、自分のSNS開発に力を入れ始めました。アプリの構築やデザインが終了した後、彼のチームは各大学にFacebookを紹介し、そこからFacebookはスピーディーに発展を遂げ、2012年にはユーザーは10億人に上りました。
しかし、元チームメイトたちが “会社の一部はFacebookのスタートアップや開発に自分たちが参加したことによって成り立っている”と述べたことで、彼らに提示された様々な訴訟問題に悩まされた時期もありました。
ザッカーバーグは他にも様々なプロジェクトに関わっています。代表的なものが、Wireooseというファイル共有プログラムや、発展途上国で選択されたオンラインサービスに適切なアクセス権を与える複数の企業のグループ、Internet.orgなどです。
2018年4月、アメリカ上院の商業科学輸委員会に姿を現し、Cambridge Analytica.のFacebookデータ違反に関連する個人データの使用について証明しました。
2010年以降、マークはタイムズ紙の投票によって、世界で最も裕福で影響力のある人物トップ100に選ばれ、2016年にはForbes はマークを世界で10番目に権力を握る人物だと称しました。
幼少期
マークはニューヨーク州ウェストチェスター群ホワイトプレインズの街に、歯科医の父と精神科医である母の間に生まれ、4人姉弟の唯一の男の子として育ちます。
3人の姉と彼はウェストチェスターカントリーで大きくなります。彼らの家系はドイツ、ポーランド、オーストリアからの移民の末裔で、マークはユダヤ教徒であり、13歳のときにバル・ミツワ―(ユダヤ法を守る宗教的・社会的な責任を持った成人男性)となります。
マークはお手本の学生で成績は常に優秀でした。Ardsley中等学校で学んだあと、ニューハンプシャー州のPhillips Exeter学院に移籍します。当時科学や研究に関わる数々の賞を受賞しました。
ジョンズ・ホプキンズのギフテッド・プログラムのサマーキャンプに訪れたこともあります。彼はフランス語、ヘブライ語、ラテン語、古代ギリシャ語に優れ、予備校のフェンシング部長も務めていました。
また、ザッカーバーグは学生時代からソフトウェアプログラムを作成しており、父親は1990年代のAtari BASICでのプログラミングを教え、ビギニング課題を与えたことがきっかけでした。12歳のときにAtari BASIC 言語で“Zucknet”というメッセージアプリのプログラムを完成させ、友達にパソコンゲームをプログラミングしてあげるということもしていました。
その後ソフトウェア開発者のDavid Newmanから学び、AOLのインスタントメッセンジャーの前身であるZucknetが彼の最初のプログラムとなりました。
キャリアとFacebook開発過程
バルガスはハーバード大学に入学したザッカーバーグについて、”プログラミングの童心”として呼び声高かったと話します。マークは心理学とAlpha Epsilon PiやKirkland Houseに関する問題に対するコンピューター科学を研究していました。
大学2年生になると、Facemashと名付けたプログラムを開発します。これは一連の写真から容姿が最も美しい人を選べるという学生向けのものでした。
Facemashはスイッチを停滞させるとしてハーバードにブロックされた他、多くの学生にもインターネットアクセスを拒まれました。また、許可なしに写真を使ったことに反感を覚える学生も少なくありませんでした。これを受け、マークは公開謝罪を行ったのでした。
2004年、マークはハーバードを出てシリコンバレーに移ります。Palo Altoにある家屋をMoskovitzらと借り、事務所とします。
同年半ば、複数の投資家を見つけ、正式な事務所へと拠点を移します。そんな中、会社を買収したいという大規模グループによって、マークらは何度も壁にぶつかることになります。
その後マークは、Facebookのミッションは拡大する世界を作り上げることであり、利益が目的ではないと宣言しています。
同年8月、マークは他3人と共同でファイル共有サービスを担うWireooseを立ち上げます。
2007年5月、マークはFacebookのプラットフォームをリリース、これによって第3者開発者たちがFacebookにアプリを作ることを後押しすることになります。Facebookプラットフォームの現在のバージョンは2010年に発表されたものです。
2010年7月にはFacebookのユーザーが5億人に達しました。
同年マークはVanity Fairの情報時代における最も影響力のある人物トップ100リストに名を連ね、その2年後には10億人ユーザー突破の節目を迎えました。
2012年12月、ザッカーバーグと妻プリシラ・チャンは、生涯において財産の大部分を“人間の可能性の開発と平等の促進”のために捧げると発表しました。この確約文言の通り、2015年12月、99%のFacebookの株(当時450億ドル相当)をチャン・ザッカーバーグ・イニシアチブに寄贈することを公表しました。
2017年6月、Facebookのユーザー20億人達成。
2012年、Facebookは写真・ビデオ共有SNS通信プラットフォームであるインスタグラムを、2年後にはモバイルメッセージアプリWhatsAppを買収しました。
2013年8月、Facebook,、Samsung,、Ericsson、MediaTek、 Opera Software, Nokia、 Qualcommが共同でInternet.orgプロジェクトを開始しました。その目標は、発展途上国においての、より妥当な価格且つインターネットサービスの更なるアクセス能力の拡大を図ることです。
マークはインド首相やロシア大統領などの世界の指導者たちに謁見し、各国におけるテクノロジーインフラについて協議を重ねてきました。
受賞歴
2010年 タイム紙による今年の顔に選出
2013年 第6回CrunchiesのCEO賞を受賞
2017年5月 ハーバードを出て数年後、自らの365回目の起工式にて大学より名誉証書を授与される
2017年12月 Media Matters、プログレッシブコミュニケーショングループよりYear賞のMis Misformer受賞者としての称号を与えらる
プライベート
妻のプリシラ・チャンとはハーバード大学在学中にパーティーで出会いました。
2010年にはPalo Altoで同棲を始め、2012年プリシラの卒業を機に結婚。2015年と2017年に女児を出産しました。
人道的活動
マークは教育や移住改革に寄付してきました。Black Lives Matter運動も支援しており、会社の壁にも当フレーズを書くよう指示しました。
2015年12月、マークとプリシラは、人間の可能性の開発及び医療・教育・科学研究・エネルギーなどの各分野における平等の促進を目的とした“チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブ”を設立しました。
娘に向けた公開書の中で、Facebookの99%の株は二人の生涯においてこのイニシアチブに投入することを明らかにしています。
また、エボラウイルスとの戦いやDiaspora やNewark Public Schoolというオープンソース個人ウェブサーバーなど、他の多くのボランティア組織にも寄付を行っています。
現在、時々自分の保有するFacebookの株を売って生計を立て、給料を受け取っていません。CEOという立場でありながら、一年で受け取る給与額はたったの1ドルです。
億万長者でありながら、素朴で親しみやすい生活をしているマーク。Tシャツとパーカーが彼のスタイルです。
他にも、世界中の人々に質疑応答をするプログラムを組織し、トークやシェアも頻繁に行っています。Tyler Winklevossのインタビュー記事で、“マークは私が出会った中で最も貧しい億万長者だ”とも語っています。
この記事は以下の記事を翻訳・改変したものです